−暗い話ですから。−

ある日、ミケが急死した。泣いた。

みけちゃんは事情があって譲り受けた子で、当時3歳。仲良し三毛猫と白黒猫ペアの一方。自分が動物病院で働き始め、獣医としての一歩を踏み出してすぐの春だった。大きくなってから飼い始めたものだから、なかなか馴れてくれずに苦労した。

当時からよく咳をしていた。猫喘息。実は珍しい病気ではない。よく結膜炎にもなって、目ヤニをつけてゼイゼイ言い出す。それでもステロイドの反応性はとても良く、調子が悪い時に注射すると症状はパッと消えていった。きっと家の環境が悪いんだろう。猫の毛だらけだし、ハウスダスト対策と言えば警告ランプがつきっぱなしの空気清浄機くらい。でも猫だらけだからしょうがないじゃん。注射が必要なのは平均すると1ヶ月に1度あるかないかくらいで、そんなに悪化することもなく何年も経った。

咳を調べていた時に分かったのだが、左側の腎臓が大きい。 最初にX線写真を見たとき、「リンパ腫(猫で多い血液の癌)」が頭をよぎった。当時まだ3歳で、家に来たばっかり。もう数ヶ月でいなくなってしまうんだ、そう思うと冷静になれず、泣いた。

エコー検査でわかったのは、左側の「水腎症」。 左の腎臓が風船のように膨れ上がって、機能が失われている状態。 幸いなことに、右側は大丈夫。BUNなど腎臓の数値も正常範囲。左右にある腎臓の一つが機能していないだけ(?)で、進行性の病気ではない。これならもう少し生きられる。何でこんなに沢山の病気を抱え込まなければいけないんだろう・・・

この子は多分、10歳までは生きられないんだろうと覚悟していた。

猫の肺の病気は、末期になると酷く苦しむ。 肺胞の構造が破壊され、肺気腫から呼吸不全を起こす。この段階ではステロイドも効かず、酸素吸入が唯一の緩和手段であるが、それを越えてさらに進行すれば、酸素吸入しても解除できない呼吸困難で苦しむことになる。 自宅で酸素室をレンタルし、安静にするしかない未来を想像した。

腎不全のリスクも高い。老齢猫はだいたい腎不全になるけれど、この子は片腎だから、 きっと早い段階で腎機能が低下してくるだろう。 少しずつ痩せ、衰えてくる。吐き気、点滴を繰り返す日々。そうなったら背中に皮下点滴してあげるか、でも嫌われたくないな。ちゃんと慣れてくれるかな。

そんな心配をよそに、いつのまにか10歳を越え、14歳になった早春。
駆け出しの獣医だった自分も、動物病院を開院して、ある意味もう一度駆け出しだ。

前日に酷い咳き込みをしていたので、いつものようにステロイドを注射した。この数年は慣れたもので、全然嫌がらなくなった。撫でながらそっと注射すると、面倒くさそうな顔をしながらゴロゴロ喉を鳴らしてくれた。 えらいね、これで楽になるよ、と声をかけ、仕事に戻った。

その日の夜のことだった。 ごはんを食べ、お気に入りのキャットタワーで寝ていたみけちゃん。おしりをこっちに向けている。ふと見ると、あれ?おしっこを垂らしている。 あれあれ?どうしたの。膀胱炎かな?そう思ったが血尿でもないし・・・ 体を触ってみると ―

あっ、と思った。

もうだめなんだろうな。そう覚悟を決めながら、まだ暖かかった体を抱き寄せてみる。全く反応を示さないみけちゃん。 たぶん、この数分の出来事なんだろう。 体温が残り、まだ生きているみたいに安らかな顔。 苦しんだ様子もなく、ただ、動かない胸と大きく開いた瞳だけがさよならを告げていた。

蘇生処置をするか・・・。 すこし躊躇ったが、もう散瞳しているのだ。二度の死の悲しみを味わうだけだと思った。自分にはその勇気がなかった。

床に横たわったそのまま、そっと逝ってしまった。
びっくりするほど泣いた。35歳にもなってボロボロ泣いた。
少しずつ冷たく、硬くなっていくみけちゃん。こんなにも悲しいなんて。


次の日、剖検をした。 胃の中は食べ物が入っていて、消化管はとても綺麗。 直前まで食欲がしっかりあったことは疑いがない。皮下脂肪も腹腔脂肪もしっかりあって、痩せていた様子もない。腎臓は大きいが、急性の変化はない。脾臓も肝臓も、腹腔内出血などもない。肺は死後変化はあったが、肉眼的には重度でないように思った。しかし、病理検査の結果、死因は肺病変による呼吸困難と考えられる、とのこと。呼吸器症状は命に関わるレベルではなかったと思っていたが、急性の呼吸困難を起こしたのだろう。ある程度覚悟はしていたことだが、辛い。

実家で飼っていた三毛猫は交通事故で亡くなった。動物病院から退院した後の夜だった。原因は不明だが、たぶん、クラッシュシンドロームだろう。
家の猫たちは、どうしても最後の世話をさせてくれないらしい。
心に重く重くのしかかってくる悲しみは、何年経っても消えることはない。

さようなら、みけちゃん。